今回、新型コロナ治療薬ゾコーバを「緊急承認」した厚生労働省にも取材。その答えは――11月末、塩野義製薬の新型コロナウイルス感染症治療薬「ゾコーバ(エンシトレルビルフマル酸)」が厚生労働省によって緊急承認された。すでに100万人分を購入しており、最近も100万人分の購入を追加契約したという。この薬に関しては期待の声もあがる一方、十分な効果が見込めるのか、需要はあるのか、そもそも緊急承認する必要があったのかなどと、疑問視する声も少なくない。そこで神戸大学病院感染症内科・教授の岩田健太郎さんに話を聞いた。日本国内初の新型コロナの経口治療薬塩野義製薬が緊急承認制度の適用を申請していた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の経口治療薬「ゾコーバ®錠125mg」が11月22日、承認された。今回の承認は2つの点で「初」ということもあり、注目されている。1つは国内の製薬メーカーが開発した薬が、新型コロナの治療薬として初めて承認された“国産初”という点。そしてもう1点は承認の方法だ。通常の手続きではなく、今年5月に施行された改正薬機法による運用が始まって“初の「緊急承認」の薬”となった。この承認によって新型コロナの治療薬は10種類に増えた。では、ゾコーバはどのような薬なのだろうか。岩田さんはこう解説する。「新型コロナの治療は大きく分けると2種類、細胞内で作用してウイルスの増殖を防ぐ抗ウイルス薬と、ウイルスが細胞内に取り込まれないよう外からブロックする中和抗体薬があります。中和抗体薬は変異株の発生により無効化されることが多く、内服できる利点もあり、抗ウイルス薬のほうがよいことが多いです」ゾコーバは、アメリカ・ファイザー社のパキロビッドパック(ニルマトレルビル・リトナビル)、メルク社のラゲブリオ(モルヌピラビル)などと同じく、抗ウイルス薬に分類される。新型コロナウイルスが増殖するときに使われる酵素・3CLプロテアーゼを選択的に阻害することで増殖を防ぐ。日本感染症学会のガイドライン(COVID-19に対する薬物治療の考え方 第15版)によると、12歳以上の小児および成人に発症3日以内に投与し始め、1日目は375mg、2〜5日目は125mgを1日1回経口投与する。パキロビッドパックやラゲブリオとゾコーバの違いは、投与の対象となる人だ。パキロビッドパックとラゲブリオでは、肥満や高血圧などの持病がある人や高齢者など、重症化リスクのある軽症から中等症の患者が投与の対象で、臨床試験の結果などから、新型コロナによる入院や死亡のリスクをパキロビッドパックは89%、ラゲブリオは30〜50%低減させることが明らかになっている。「アメリカでは、政府やCDC(アメリカ疾病予防管理センター)、FDA(アメリカ食品医薬品局)が、“パキロビッドパックを重症化リスクが高く、酸素を必要としない患者に使うように”とアナウンスしています。さらに医師だけでなく、一定の条件下で薬剤師も処方できるようにしたことで、広く使われるようになりました」(岩田さん)対して日本はどうかというと、政府や厚労省はパキロビッドパックの使用について積極的な通知をしていない。岩田さんは「薬の入手法や処方の手続きが複雑だったり、医師の不勉強から使用を躊躇していたりといった問題があって、あまり使われていないのでは」と話す。そのうえで「個人的にはもっと使われていい薬だと思います」と述べる。一方、ゾコーバの投与対象は12歳以上の、重症化リスクのない軽症から中等症の患者だ。催奇性があるため、妊婦への投与は禁忌となっている。厚労省は当初、パキロビッドパックの処方実績がある医療機関などへの供給を始めるとしていたが、現在は都道府県が選定した医療機関や薬局で取り扱えるようにした。ゾコーバは、新型コロナ患者の「鼻水または鼻づまり」「喉の痛み」「咳の呼吸器症状」「熱っぽさまたは発熱」「倦怠感(疲労感)」の症状を改善させる薬だ。その有効性については、今年2月〜7月に日本など3カ国で実施した治験が興味深い。重症化リスクのない12歳〜60代の新型コロナ患者(軽症〜中等症)1821人にゾコーバを1日1回、5日間投与する治験を実施。発症から3日以内の服用で前述した5症状が7日前後で消失し、症状のある期間が24時間ほど短縮されたことを示した。ただし、パキロビッドパックやラゲブリオのような重症化による入院や死亡が減るというデータは、「もともと臨床試験の項目として設定されていなかった」(岩田さん)ため、現段階では有効性が不明だ。「緊急承認」する必要はあったのか咳や鼻水を1日程度早く治す薬――。社会的に見てそれほど重要なものなのだろうか。一部の医療関係者が疑問視しているのは、「緊急承認」する必要はあったのかという点だ。今年2月に塩野義製薬によって承認申請されたゾコーバは、5月に成立した「緊急承認制度(医薬品医療機器等法第14条の2の2)」において審議された。しかし、7月の審議会で、要件である「有効性の推定」が不十分と判断され、継続審議となっていた。その後、同社は最終的な治験結果を厚労省に提出し、11月の緊急承認にいたった。緊急承認制度とは、感染症が急激に拡大したなどの緊急時に「代替手段がないこと」「安全性が確認されていること」「国内外の治験により有効性が推定できること」などの要件を満たせば、ワクチンや治療薬などを迅速に薬事承認できる制度をいう。承認から2年以内にデータを収集し、有効性が確認できなければ承認が取り消される。ゾコーバを緊急承認する必要があったのか岩田さんに聞くと、「個人的にはその必要はまったくないと考えている」との返答だった。「そもそも重症化のリスクがない軽症の新型コロナの患者さんには、解熱鎮痛薬や漢方薬を用いた対症療法で十分で、ほとんどの場合は自然に治っていきます。何としてでもゾコーバを使わなければならないという理由がないのです。通常の承認であれば別ですが、緊急性は感じません」(岩田さん)ウイルス量に関しては、ゾコーバ投与4日目でウイルス量がプラセボ(偽薬)の30分の1程度に減ったことがわかっている。「しかし、体内のウイルス量の減少することと臨床的な症状の軽快は一致しない。ウイルスが減ったからといって、早く治るとは限らないんです」と岩田さん。臨床試験の内容からしても、緊急承認に値するものだったか疑問だ。実はゾコーバの承認にあたって、当初は12症状が回復するまでの時間を臨床試験の評価項目としていた。だが、最終的には先の5項目(「鼻水または鼻づまり」「喉の痛み」「咳の呼吸器症状」「熱っぽさまたは発熱」「倦怠感(疲労感)」)に減らされていた。これは普通にあることなのだろうか。「いいえ、たいへんめずらしいです。緊急承認が必要な薬では通常、死亡や入院など重大なアウトカム(結果)が評価項目に入るものです。それが鼻水や喉の痛みなどの症状で、しかも途中で評価項目を減らしている。疑問は残ります」(岩田さん)承認前後に計200万人分を購入決定もう1つ疑問に残るのは、ゾコーバが緊急承認を受ける前の今年3月、すでに日本政府が100万人分を購入すると決めていたことだ。塩野義製薬のプレスリリースには、「本年3月に厚労省との間で締結した本剤の国内供給に関する基本合意書に基づき、日本政府が100万人分を購入する売買契約を別途締結しておりますことを併せてお知らせいたします」とある。実際の契約は、7月の審議会の前日だった。12月13日には、加藤勝信厚生労働相が閣議後の記者会見で、ゾコーバを追加で100万人分購入する契約を同社と結んだと発表した。「これは明らかに筋道を誤っているんじゃないでしょうか」と岩田さん。確かに順序がおかしい。「それだけでなく、7月に有効性の推定には不十分だと継続審議になったにもかかわらず、9月には日本感染症学会と日本化学療法学会が連名で“緊急承認を求める提言(※)”を出しています。日本感染症学会の理事長はゾコーバの治験に関わった人物。利益相反の疑惑もあります」(岩田さん)ゾコーバはリトマス試験紙のよういずれにしろ、もやもやが残るゾコーバの緊急承認。岩田さんは「ゾコーバは、まるでリトマス試験紙のようなもの」と考える。「新型コロナの治療について勉強をしている医師は、おそらく使わないでしょう。実際、神戸市のいくつかの医療機関は使用しない方針のようです」。危惧されるのは、“本来、自宅療養で治る軽症の新型コロナ患者が、ゾコーバ目当てで発熱外来に押し寄せる”という事態だ。新型コロナの医療費は現在、公費負担であり、私たちは自己負担なくゾコーバを処方してもらえる。使用しない方針を示した医療機関は、そうしたことも見越しての判断だという。「重症化リスクのない軽症患者さんが医療機関に押し寄せたら、ただでさえ忙しい医療関係者の負担が増えるのみならず、本当に治療が必要な重症者にもしわ寄せがくることにもなりかねません。医師のなかには、患者の希望に応えたいからとゾコーバを処方するケースもあるかもしれませんが、それは“患者思いの医師”ではなく、明らかに間違い。医師なら科学的な視点を持って必要な薬を処方すべきです」(岩田さん)この点について厚労省に質問したところ、医療機関の混雑は当初より同省でも懸念していたという。そのため、各都道府県が医療機関の逼迫の程度を鑑みて、ゾコーバを取り扱う医療機関を登録するとのこと。それぞれに医療体制が違うため、どの医療機関が取り扱うのかという判断を都道府県に委ねるかたちだ。また対象者は、重症化リスクがなく症状の強い人で、対症療法の薬と併用することも想定しているという。新型コロナの感染者が急増し、第8波の到来ともいわれている。国がやるべきことは、重症化リスクのない軽症者向けの抗ウイルス薬を緊急承認して200万人分購入し、全国に配布することなのだろうか。それよりも、もっと大事なことがあると岩田さんは話す。「まずはきちんと新型コロナワクチンを接種して予防すること。軽症者ではつらい症状がなければ、自宅療養して他人にうつさないこと。国や厚労省はワクチンの大切さや自宅療養のルールなどを明確にわかりやすく伝えるべきです」(岩田さん)