低中所得国の人々にもワクチンや治療薬を安価に届けるために製薬会社が特許を開放するなど「医薬品アクセス」の重要性が、新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)で再認識されるようになった。ESG(環境・社会・企業統治)のS(社会)への貢献度にも直結し、投資家の関心も高い。欧米メガファーマの取り組みが先行するなか、国内製薬も本格的に動いている。危機感を持つ投資家、株主提案に動く良質な医療があまねく行き渡る世の中が理想であるが、現実は世界で約20億人が必要な治療を受けられていないとされる。理想に向けた取り組みのひとつが「医薬品アクセス」で、貧困や医療制度の未整備といった課題を抱える国に対し各国の経済環境などに応じて必要な医薬品を手に入りやすくすることを意味する。製薬会社は所得水準に合わせた価格を設定したり、臨床試験(治験)の実施国に新興国を組み入れたりしている。新型コロナの流行で、医薬品アクセスは今そこにある課題として世界が再確認した。先進国と低中所得国でワクチン接種率の差が開く一方、変異型「オミクロン型」が南アフリカで最初に検出され急速に感染が広がった。ワクチンや治療薬を行き届かせて世界的に感染拡大を押さえ込まないと、コロナの収束にはつながらず経済リスクも解消されない。危機感を持った投資家は製薬会社への働きかけを強めている。米ファイザーは貧困問題に取り組む国際非政府組織(NGO)「オックスファム」から、ワクチン特許や製造ノウハウを低中所得国のメーカーに移転できるか報告する株主提案を受けた。アクセス改善の機運は高まり、モデルナは国際的な途上国支援の枠組みを通じて低中所得の92カ国に新型コロナ関連の特許権を行使しない方針を示した。治療薬を開発するファイザーや米メルクも、低所得国向けに特許料を取らず後発薬の生産を認める契約を結んでいる。製薬会社の活動を第三者が評価する仕組みも注目されるようになっている。オランダに本拠を置く非営利財団「医薬品アクセス財団(ATM財団)」は2年に1度、主要な製薬会社20社の活動を総合評価してランキングにした「医薬品アクセスインデックス」を公表している。130社を超す世界の機関投資家が投資先のESG分析に活用する「投資家宣言」に署名し、国内では三菱UFJ信託銀行や野村アセットマネジメントなど6社が賛同している。署名投資家は増加傾向だ。2022年のランキングでは、英グラクソ・スミスクラインが2008年の初回から首位を維持した。低所得国でニーズの高い抗エイズウイルス(HIV)薬などの研究開発が評価された。前回7位の英アストラゼネカは、コロナワクチン製造の技術移転を東南アジア等へ進めたことなどを受け3位に浮上した。日本勢は武田薬品工業が7位と唯一トップ10に入った。同社は部門責任者らの報酬KPI(評価指標)に医薬品アクセスに関する目標を定めることが奨励されているほか、治験の後期段階にある製品について医薬品アクセスを計画する工程を組み込むなど実効性を担保する仕組みがある。21年には欧州でデング熱ワクチンを承認申請し、欧州連合(EU)域外の低中所得国も使えるようにする並行審査に参加している。医薬品アクセスグローバルヘッドのミシェル・アーウィー氏は「投資家は継続して医薬品アクセスに関する質問をしてくる。企業の社会的責任(CSR)でよいという時代は終わり、いまや製薬ビジネスの戦略に必須の活動だ」と話す。エーザイは12位だった。リンパ系フィラリア症の制圧に向け、計29カ国に20億5000万錠の治療薬を無償提供してきた。国際研究機関と提携し、顧みられない熱帯病や感染症で16品の医薬品を開発中だ。これらの活動はアフリカ進出の後押しになっている。年度内に南アフリカに自社法人、ケニアに支店を設立し、抗がん剤などの自販体制を作る予定だ。「現地で築いてきたネットワークは強みになる」(同社)。前エーザイ最高財務責任者(CFO)の柳良平氏らは、同社が途上国に治療薬を無償提供した社会的インパクトを約7兆円と算出した。年平均は約1600億円で、同社のEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)と同等の価値を創出したという。ATM財団のジェイアスリー・K・アイヤー最高経営責任者(CEO)は日本企業の現状について「医薬品のポートフォリオが限定的だったことや、低中所得国に海外拠点が少なかった歴史的背景から後れを取った面はある」と指摘した上で、「どこに拠点があるかではなく、企業のアセットを活用して何を実現するかが重要だ」とする。株式市場での製薬会社への投資判断は開発中の新薬が将来いかに「もうかる薬」になるのかに左右され、基本的にはこの評価軸は変わらない。ただ、医薬品アクセスが新たな評価軸としての重要性を増してくるなかでは、利益追求だけでは十分とは言えず、社会問題への取り組みを通じて持続的な利益成長につなげるという高度な経営手腕が問われることになる。三菱UFJ信託銀行の兵庫真一郎チーフファンドマネジャーは「新型コロナ禍で感染症分野の関心度は大きく高まった。感染症がないときでも業績が安定する仕組みづくりができれば、より投資しやすくなる」と話す。検査試薬・機器提供も商機新興国の医療の質の改善には、診断を行う検査試薬や機器の普及も欠かせない。検査試薬大手の栄研化学は、2031年3月期までの経営計画のなかで、結核やマラリアの検査試薬の拡販を成長の柱の1つに据える。同社はウイルスの核酸を増やして検出する「LAMP法」と呼ばれる遺伝子検査に強みを持っており、これを活用した感染症検査システムを22年3月期時点で新興6カ国に供給する。25年3月期には8カ国、31年3月期には15カ国へ拡大させるのが目標。感染症分野の収益拡大もはかり、連結営業利益を前期比79%増の150億円程度に増やす方針だ。医療機器大手のシスメックスは、マラリアの検査の質向上に取り組む。マラリア原虫などに感染した赤血球の有無や比率を約1分程度で判定する機器を開発し、流行地のアフリカ地域などで販売している。専門家による顕微鏡検査や簡易検査キットなどを用いる従来の検査では15~30分ほどかかるとされ、負担を短縮できる。5月には味の素ファンデーション(東京・中央)やNECと組み、ガーナでマラリアの早期発見や栄養失調改善をめざすプロジェクトをはじめた。同国の医療機関にマラリアの診断装置を設置して早期発見につなげ、母子ともに早期の治療が受けられる体制の整備をめざす。良質な医療を提供するという社会的意義もさることながら、新興国市場は医療体制の整備に伴い長期的な需要拡大が見込まれる。競合他社に先んじて現地で信頼を勝ち取り、関係を強化できるかが問われている。(斎藤萌、山田航平)[日経ヴェリタス2022年11月20日号掲載]
インドなどイベルメクチン配布でコロナ終息